Process

幹と花びらを加えて完成。背景を具象にするか抽象にするかは最後まで迷ったが、モデルと対比させることを選んだ。淡い春の野山が鄙びた匂いに包まれて。
本当はここで止めると言う手立ても考えたのである。これまでの素描の殆どは白い画面にモデルを浮き立たせると言うやり方だった。今考えるとここで止めても良かったかも知れないけどね。
手を描くのは顔を描くのと同じくらい私が苦手にしている箇所だ。手のひらや指先は人それぞれ、また手を使う仕草によって複雑怪奇にその形態を変えるからだ。しかも手を描く場合はその表情が絵の出来不出来や個性を決定づけるほど重い役割を演じてしまうからなおさらで。手を描くのは特に模写技術に弱い私にとっては生きるか死ぬかみたいなプレッシャーなのである。
ここまで描いて一先ず一段落である。実はモデルにした写真は手先はあったものの肘先が映っていなかった。腕から肘にかけては創作するしか無く、輪郭を取るのに難航が予想される。紙の耐久にも限界があるのであまり失敗やり直しは許されるものでは無い。
とにかく丁寧にやった。課題にしたのは髪の艶と憂いを含んだ儚さ脆さである。あえて陰影は控え目にしたのも特徴。影は入れたいがあまりリアルに入れると全体がきつくなると思ったからだ。
だいたい私は描き過ぎるきらいがあるので、特に最近はさらっと描くように心掛けている。Simple is Best 〜 こてこてに修整、描き加えて全体の雰囲気を見失い破り捨てたもったいない絵が数え切れないほどある。いつも描き始めはリアルに描くことでは無かった筈なのにだ。
随分変わった描き方だが、正規の美術教育を受けなかった私には、フリーハンドでバランス良く輪郭を得る技術が無いのだ。トレースした部分から少しづつ塗り足して行く。塗っている時は何を描いているか解らなくなることもあるが、ある程度の面積を仕上げるとはっとする瞬間に襲われる。かたちになったその時の感慨を楽しみたくて絵を描いているようなものだ。
以前美人画の大家、アルフォンス・ミュシャがモデルの美しさを自分のものにするために写真を撮り、写真に方眼を打って各部位の正確性を出したと言う逸話を読んで、トレースが決して恥ずかしいことでは無いと知って安心したのを思い出す。自由自在に筆を走らせて自分だけの顔を創造するのは永年の夢だが、トレースの技術も曖昧なのか、モデルの顔を正確に映し出すことが出来ない上に自分の好みも封入するに至って結果オリジナルが出来上がっている。私は似顔絵を描くのが本当に苦手なのだ。

A Song For Japan

日々の創作日記とお気に入りの音楽など。日常と非日常を行き来する奇妙な世界をお楽しみ下さい。

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