abnormal

超常現象を信じるだろうか?科学の進歩が進んだ今、例えば宗教の奇跡物語でさえも学者は合理的にその成り立ちを説明するようになっている。霊についても目に見える現象に関しては研究者達が言うように見間違い、自然現象、そして意図して作り上げられた偽物など、私が幼少の頃に信じられていた時に比べて超常現象肯定派を取り巻く環境は遥かに不利になっていると言える。例えば『金縛り』。最近の研究では身体が極度に疲れた不眠状態で心身にストレスが溜まると神経や筋肉に硬直や麻痺が起こって身体が動かなくなったり悪夢のような幻に襲われたりするのだそうだ。かく言う私も何度か『金縛り』と言うのに遭遇したことがあって身の危険を感じるような恐怖にさらされ、どうすることも出来ないまま唸り声を上げていた経験がある。
例えば。。。
その夜私は床について目を閉じたが、何時ものような睡魔がどうしても訪れず、約1時間余り布団の中で悪戦苦闘しているうちに、気を紛らわせようと思い描いた過去の記憶を辿っていたところ、何故だか深い山の中を彷徨い歩いている自分を想像するに至ったのである。これまでのイメージが現実の延長だったことからすると明らかに異様な幻だったが、神経を尖らせて注意深く観察していると、耳の奥に読経の音が聴こえて来るようになった。私はとにかくその読経の主を探そうとさらに森を分け入ったのだが、やがて鬱蒼とした沈鬱な木々の中に古ぼけた小さなお堂を見つけることになった。そこで尚も近寄って気味悪いお堂に近づいてみると、中に一人の僧侶が私に背を向けて座り、朗々とお経を唱えているではないか。誰も居ないはずのこんなに深い森に一人私が近付いても、一向に読経を止めることも無く、私を拒絶するかのような異様な態度にある種の不安を感じた私はその場を立ち去ろうとしたのだが、鳴り響く読経はさらにヴォリュームを増し、私の頭上に振りかかからんまでに激しくなってついに、目の前に巨大な青空と入道雲が開かれたのだった。青空と入道雲の間から眩い太陽の光が私の両目を貫き。もはや読経は金属機械が泣き叫ぶような金切り声になって私を包む。と同時に私の身体は猛烈に締め付けられ、抑えられて身じろぎ一つ出来なくなり、声を出そうにも口は開かず、目は開ければ目前の悪霊と対峙する恐怖からひたすらきつく閉じたままである。恐ろしさの余り動悸が打ち付け、やっとの思いで首を捻じ曲げると少し口が開いたので呂律の回らない痙攣気味の小さな叫び声を上げた、そうである。
私はあの夜確かに疲れていたのかも知れない。だがあのお堂と僧侶・読経の意味となると私が納得出来るような説明は見つからない。学者先生諸氏は過去に体験した古い記憶の断片が不安の中で繋ぎ合わされたとでも仰るのかも知れないが、睡眠時に見る夢の支離滅裂とは異なってある程度辻褄が合う物語だから余計に奇怪である。
私は全てを自然科学で割り切ることには反対だ。超常現象は解明出来るものもあるがどうしても説明のつかないものも存在する。宗教は感情や欲望を神に対する不完全な存在の象徴として私達に教える。それを悪魔の差し入れとも考えることもある。超常現象が神や悪魔起源なのかは別にしても、説明のつかない場所には人智を超える異次元空間があると考える方が遥かに自然なのでは無いだろうか?

A Song For Japan

日々の創作日記とお気に入りの音楽など。日常と非日常を行き来する奇妙な世界をお楽しみ下さい。

0コメント

  • 1000 / 1000