Blue Ice Woman

胸をえぐる鋭いナイフを隠し持った青氷のように美しい宿命の女。
これはまだ制作中なので詳しい話はまたいつか。。。顔の前に垂れた1本の髪が一つのヒントになりそうな気配。
SNSで言い争いになってサイトが荒れると言う話は以前からよく目にするトラブルだが、今日はその話を少し。
誰しも喧嘩をしたくてSNSをやっている人は居ない、とまずは信じたい。
みんな自分の思いを率直に、或いは脚色を交えて広く世に問いたいと考えて制作し、電波と言う拡散するに極めて便利なツールを利用して自分だけの世界を楽しんでいる。
その中には同じ趣味趣向を持った人や、自分が持たない才能を持っている人、人気SNSユーザー、著名人などと交流したり、情報を得たり送ったりと今では生活に無くてはならないほど依存している人も少なくない。
一方で問題もある。中には本当に仲良くなって面と面を合わせてお付き合いする場合もあるだろうし、それはそれで良いと思うのだが、殆どの場合は文字と文字だけのお付き合いになりがちなSNSにあって、言葉だけのやり取りがもたらす誤解がそれだ。
もちろん原因はそれだけでは無いだろうけどね。主義主張や人生観の違いは言い争いに直結する最大の要因だが、とどのつまりは言葉の言い表し方に攻撃性や中傷の匂いを感じて読んだ人が気分を害したり、会話の中に侮辱や非難の気配を察して腹を立てる、と言うケースが殆どでは無いだろうか?
眼と眼を合わせて顔の表情を見ながら話すのと違ってSNSの場合は判断材料は目の前にある文字だけだ。お互い他意は無くても相手には無表情で冷淡な顔が浮かび、ついつい文章に悪意の疑いを詮索すると言うことが時として起こったりするものだ。それは本来仲間のはずの似た者同士である場合でもあるし、違った個性の持ち主同士であるが故の磁石みたいな惹き合いでも往々にして起こりうることであるから要注意である。
絵文字や顔文字を多用して相手にきつく与えるかも知れない印象を緩和させると言う手もあるが、真面目な話をする場合にあまりにも装飾品を付け足し過ぎるとふざけた感じにも取られることもあり、これも相手によりけりだから完全に有効な手段とは言えない。
結局忘れてはならないのは、文字の付き合いであるSNSを現代の繋がりとして過信してはならないと言うこと。
よくよく考えなければならないのは言い争いを起こすのに加害者も被害者も無いと言うことだ。トラブルを起こせばどちらが発端であるにせよ、周囲のユーザーの目には喧嘩両成敗でしか無い。
もし自分にとって不愉快な書き込みがなされたら、反撃をせず、静かにその場を立ち去るが良い。
言い争いをして自分のSNSライフに利益をもたらすことは絶対に無いからだ。
余計なトラブルは自分がこれまでみんなの前で築き上げてきた夢や幻想を破壊するだけで無く、それを愛して集まって来てくれた人に予期せぬ別の顔を曝け出す幻滅をも生み出してしまうことになる。
そしていったん崩壊した自分の世界を立て直すには気の遠くなるような労力と時間が必要なのだ。
こんな無駄な努力を重ねるためにSNSやって来た訳では無いだろうが。。。

最近特にそう思ってるよ。

A Song For Japan

日々の創作日記とお気に入りの音楽など。

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