Cherry Pink Cha Cha

桜の花は儚い印象があるが、実はそれでも一週間程度は咲いている。思えば梅だって水仙だって見頃の花期はそんなものだ。何故か桜だけがまるで瞬間の輝きのようにぱっと咲いてぱっと散るような印象があるのだ。
それはたぶん、ソメイヨシノを中心とした桜が園芸品種として古くから大量に植栽されてきた大柄な樹木で、青空に映える密生した極めて見栄えのする花であること、桃色がかった白色の小さく可愛らしい小花の集まりであること、別れと出遭いと言う節目に惜別や出発の想いと交錯する季節の花であること、武士道に通じる一斉に咲いて潔く散るドラマを感じること、などなどが重なって短い生命のように捉えられてきたのが原因だろう。
初めて一年生として小学校の門をくぐった時も青空を覆い尽くす桜並木の下を期待と不安で歩いていた印象がある。果たして入学式の時に桜が満開だったかどうかはもはや知る由もないけれど、その後毎年見る桜咲く季節が重なり合って、何時しかまだ大きく重いランドセルを背負って通った春の通学路が満開の桜の下だったかのような印象が出来上がったに違いない。
ひねくれ者の私は園芸品種より山野草を好む人間なので、品種改良されて演劇がかったソメイヨシノなどのような作り物の花には季節の花と言う以上に思い入れは無い。巷を埋め尽くす花束も鑑賞するために交配されたのだから美しいのは当たり前だなどとへそ曲がりなことを考えている。
思えば桜を題材にした流行歌が惜別や感慨を歌ったものばかりなのもこの花を固定観念に縛り付けているようで気に食わなかったりする。名曲が多いのは認めるが、桜は本来本格的な春の到来を告げる希望の花では無かったのか?と言う思いが悩ましい桜の歌の数々を聴いていて常に付きまとってしまう。
桜吹雪を目の当たりにすると確かに一つの季節が終わりを迎え始めたことを実感する。本当は終わりでは無く次の季節を迎えるための呼び水なのだが、私達にとっては新緑の黄緑の初々しさよりピンク色の健気な姿の方を目の当たりにし、その最期を見届けることの方に詩情を感じるのだろう。でも桜の季節は案外長いのである。街角に見る桜の品種はほんの数種類、山へ脚を運べばたくましい野生の山桜がこれから見頃を迎えるのだ。

A Song For Japan

日々の創作日記とお気に入りの音楽など。日常と非日常を行き来する奇妙な世界をお楽しみ下さい。

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